山崎研究室

鉄道の歴史から辿る山崎隆の都市文明講座

第15回 「東海道の品川宿」 編

平成23年10月某日

井上勝先生の墓参の後、東海道の品川宿を取材することにした。

目黒川に沿って山の手通りを東に向かえば、徒歩で行ける距離である。
かつて品川宿は、現在の北品川にあたり、東海道有数の宿場町として栄えた。
その現在の様子が知りたかったのである。

東海道の品川宿

私は、少し寂れた感じの旧東海道を横切って街を歩き続けた。
東海道は海岸沿いの街道なので、
ここまで来ると、江戸時代までは海だったところに到達した。
付近に創立された台場小学校の名の示す通り、
幕末、この一体の埋立地には砲台が設置されていた。

東海道の品川宿

東海道の品川宿

「この辺りは、埋立地かあ…」。
そう思った途端、なぜか地盤沈下の状況が調べたくなった。

「わっ、やっぱり、埋立地は、こうなるんだよな…」。
そこかしこに地盤沈下の痕跡が見られた。

東海道の品川宿

東海道の品川宿

杭が打ってある建物は、そのままの高さを維持できる。
だが、地盤が沈下すると道路のGL(グランド・レベル)は下がる。
そうすると、何が起こるのか。
地上から目視すると、建物が浮かび上がって見えるのである。

実際は、建物が浮かび上がっているのではなく、地盤が沈んでいるのだ。
そうすると宅地内の建物に入る時に、段差ができてしまう。
そのままでは建物に入れない高さまで建物が浮かび上がってしまう。

東海道の品川宿

だから、アプローチに踏み台が必要になっている建物が多数点在している。
中には、某有名大手ディベロッパーの築浅のビルですら、そうなっている。
もう、アプローチのレベルが怪しくなっている。
今後の補修はどうするのだろうか。
公道を勝手に土盛りすることはできないので、階段の段数を増やすのか。
だが、それにはアプローチの奥行きに余裕が無い。
担当した設計士は、そんなことを考えないで配置計画をしたのだろう。
長期修繕計画を考えない間抜けな設計士なのかもしれない。

東海道の品川宿

東海道の品川宿

このエリアでは、液状化が起きたとは聞いていない。
だが、そもそも、このようなエリアで、
高層建築物を建てるのには、かなりの問題がある。

せめて中層建築物までの規制にして、
それを古式工法の松杭で対応した方が、
場合によっては有効な場合も多いのではないか。
松杭は、摩擦杭なので、地盤と一緒に沈むのだ。
だから、道路面や地盤面とのレベル調整が必要無いのである。

だが、現在の建築基準法では、松杭では、なかなか許認可が下りない。
結局のところ、役人は何も考えていないのだろうか。
彼らの辞書には臨機応変という言葉は存在しないのだろうか。

東海道の品川宿

また旧東海道に戻ることにした。今度は街道沿いを歩く。
しかし、それにしても街に活気が無い。
小さなスーパー、魚屋、金物屋など点在しているが、寂れている感じ。

東海道の品川宿

東海道の品川宿

歩き疲れたので、どこかに喫茶店でも見つけようと思った。
だが、歩いても、歩いても、喫茶店など見つからない。
私は思わず「うー、体が重い。足がしびれる」と唸ってしまった。
またも、メタボリック性の歩行困難症候群の発作に襲われた。

東海道の品川宿

「もう、ダメだ。腹が減ったので、休憩のついでに飯でも食おう…」。
撮影スタッフと女性アシスタントに、そう話しかけた。

満場一致で、この街から退散することにした。
早速、グッドタイミングでやって来たタクシーを拾う。

「どこに行こうか」、
「天王州でクルージングでもしながら、メシにするか」、
「それなら、日本郵船のレディクリスタル号でフランス料理だな…」。

2人の同意を取り付けて予約を取り、夕闇の迫る波止場に向かう。

日本郵船は、岩崎弥太郎の創業した三菱財閥系の企業である。
近代史にその名を残す名門の海運会社だ。

「しかし、レディクリスタルとは、バブリーな香りのする名前だなあ」、
「今夜は、なんとなくクリスタルな気分になるか…」。
田中康夫と体型が似ている私は、そういう気分になってしまった。

数分で、天王州アイルに着いた。
喫茶店で待機しながら出港まで時間をつぶした。

思わず「美しい船だなあ。いつもの屋形船とは違うよなあ…」と言うと、
一瞬、アシスタントは「そんなの当たり前じゃん!」というような表情をした。
彼女は、高い目線から不可解な微笑みを投げかけている。

東海道の品川宿

だが、この、やり場の無い傷心は、
どこからか突然現れた初音ミク(注1)が癒してくれた。
有り難う。こんな時は、初音ミク(注2)だけが心の支えだ…。

東海道の品川宿

やがて船内に乗り込むと、既にテーブルが準備されていた。
まずはセオリー通り、
メニューを想定しながらワインを選ぶことから始める。

実は、私は、かなりワインに詳しい。
バブル時代には、ロマネ・コンティからラフィット・ロートシルトまで、
高級ワインを総なめにしながら夜の帝王ぶりを発揮していた。
“バブルの貴公子”と呼ばれていたのだ。
あの頃は、本当に良い時代だった…。

「今日は、シャルドネカベルネ・ソーヴィニオンの気分じゃないな」。
「料理に合わせて一番お薦めのピノ・ノアールを用意して下さい」。
そう言って私は、スマートな男性の給仕にワインのセレクションを頼んだ。

数分後には、ボトルが運ばれてきた。
「このワインがお薦めです」。
注がれたワインのグラスをゆっくりと回しながら香りを楽しむ。
次に、テイスティングをした。

東海道の品川宿

そして私は「んー、美味い。さすが、ブルゴーニュ産だ」と静かに応えた。

だが、給仕からは意外な答えが返ってきた。
「いいえ、これは、オーストラリア産です」と。

「えっ?あっ、そうなんだ。へー、最近はオーストラリアも悪くないよね…」。
私は、ワインには詳しいが、産地を当てるのだけは苦手なのだ。

アシスタントが、また哀れみの微笑を浮かべたように見えた…。
デッキには、まだ夏が終わったばかりだというのに、
氷のように冷たい風が吹いている。

レディクリスタル号は、何事もなかったように、
かつての江戸湾を静かに航行している。
船の舷側から生じる小波は、摩天楼の夜景を乱反射させながら、
長いウェディングドレスのような航跡を残していた。

東海道の品川宿

「あそこが竹芝桟橋で、あそこが豊洲か」、
「東京タワーはどこかなあ?」。
窓越しに子供のようにハシャギながらしゃべり続ける私は、
無意識のうちにフォークとナイフを休ませていた。

東海道の品川宿

そして、何げなく、ふと撮影スタッフとアシスタントに目を向けた。
すると其処には、私の独り言を完全に無視しながらも、
久しぶりの豪華なディナーを味わう、飢えた原始人類の姿があった。

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