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山崎研究室
近代史と鉄道から語る山崎隆の都市文明講座
第5回 「阿佐ヶ谷」 編
4月某日、中央線「阿佐ヶ谷」を訪れた。
阿佐ヶ谷駅の開業は大正11年である。
周辺には商店街が広がり、いまどき、その数の多さには驚かされる。
北口アーケード商店街、スターロード商店街、北口商店街、
ゴールド商店街、新進会商店街、ダイヤ街などがある。
マグロの解体実演販売で有名な北辰水産は、ダイヤ街にある。
衰退していく商店街が多い中で、ここは全般的に活気がある街だ。
商店街の中には、居酒屋のような小料理屋からレストランも点在する。
実は、阿佐ケ谷は大好きな街である。
クライアントで地元の名士でもあるA氏と、よくここで飲んでいるのだ。
安くて美味い刺し身を食べさせてくれる店がけっこうある。
ハシゴした後でカラオケスナックで軍歌を歌うのがお決まりのコースだ。
南口には青海街道まで続く“阿佐ヶ谷パールセンター”があるが、
ここで行われる“阿佐谷七夕祭り”は、50年の歴史を持つ。
この商店街の起源は駅開業に尽力した代議士への恩返しで造られた道と聞く。
駅から代議士邸の玄関まで人力車が楽に通れるように、
青海街道までの道路を拡張したのが始まりらしい。
地元住民から謝礼を取らなかったという代議士への気持ちが道になった。
利己主義に慣れた現代では、なかなか聞けない話ではある。。
途中、一軒の喫茶店に入った。
読書をしながら優雅にコーヒーを飲む客で座席はうまっていた。
う~ん…。平日の昼間に、のんびりと何をしている方々なのか…。
次の打ち合わせまでの時間を気にしながら、時計を見ているのは我々だけだ。
喫茶店を出て、北西に向かう。
住宅街を抜ける道は、やや湾曲していた。
こういう道は、たいてい昔は、水路か、農道である。
しばらく歩くと、大きな庭がある邸宅が並びはじめた。
このあたりの一画は、戦前、陸軍の高級将校などが住んでいたところである。
先にすすむと“阿佐ヶ谷教会”を発見した。
“阿佐ヶ谷教会”は、プロテスタント系で、大正13年頃からあるそうだ。
東京のプロテスタント教会は、明治6年、築地の居留地で生まれ各地に広がった。
その後、関東大震災や戦災等の影響で、移転、改称したものも少なくない。
「教会の歴史を追えば街の過去を知ることが出来るかもしれない…」。
そう思ったが、うかつに中を見学すると、あまりに懺悔することが多すぎて、
神様を失望させてもいけないので、とりあえず、見学は諦めた。
そして、さらに徘徊を続ける…。
なんと、こんなところに銭湯がある。
「懐かしいな、昔、風呂屋にはサンスケ(三助)がいたよなぁ…」。
また、タイムスリップして独り言を言ってしまった…。
少々、照れながら、隣を歩くアシスタントに目をやった。
しかし、彼女は、私の日々の不可思議な言動に慣れたらしく、
顔色ひとつ変えずに歩いている。
聞き流されていることに、ほっとした。
かつて私は“三助”という職業を羨ましく思っていた時代があった…。
ちなみに“三助”とは、銭湯で客の身体を洗うサービスをする男だが、
全国各地の女湯にある子宝の湯とは、三助と縁があると言われている。
“阿佐ヶ谷”には、ホワイトカラー系のイメージと、
銭湯が似合う下町のイメージとが融合して、昭和初期の面影が残る。
まさに、あじわい深い街である。
学生から子育てファミリーまで、住みやすいところであろう。
今度は、ランチをしようと思って、途中、喫茶店風の店へ入った。
この店で食べた、柚子こしょうで食べる“ロールキャベツ”は、絶品だった。
雰囲気の良いマダムと娘?に見送られながら店を後にした…。