山崎研究室

近代史と鉄道から語る山崎隆の都市文明講座

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第6回 「道の駅“八王子滝山”」 編

2008年、7月某日。
今回は、昨年4月にオープンした「道の駅“八王子滝山”」へ向かった。
“道の駅”とは、道路利用者の休憩と地域復興の施設が一体になったところだ。
野菜などの特産品などが売られていて、それなりに遊べるところも多い。

八王子インターを降りて5分ほどで目的地に到着した。
ここは平日にもかかわらず駐車場が満車に近いのには驚いた。
さらに近所の主婦が自転車でやって来て買い物をしている。
スーパーマーケット代りにもなっているのだろう。
土日や祝日は遠方の人も訪れるはずだ。

道の駅“八王子滝山”

早速、中に入ってみる。
八王子産の青々とした野菜や美味しそうな果物が並んでいる。
同行したアシスタントは仕事を忘れているかのようだ。
「都心のスーパーに比べて、とにかく新鮮で安い!」と、鼻息も荒い。

道の駅“八王子滝山”

道の駅“八王子滝山”

周囲の主婦や彼女の勢いにつられ、つい野菜を手に取ってみる。
ふと気が付くと、私も、それをカゴに入れている。
だが実のところは、安いのか、新鮮なのか、判別できない。

道の駅“八王子滝山”

道の駅“八王子滝山”

野菜以外にも、現地の牧場でとれた牛乳や養鶏所でとれた鳥骨鶏の卵も売られている。
東京にも“牛”がいるのか?信じられない。
卵も、有精卵と書かれているが、どうすればそれと確認できるのか。
養鶏所では、ちゃんと交尾しているところをチェックしているのだろうか。
鶏は、毎日交尾してたら、疲れたりはしないのだろうか。
もしかして、それを温めれば可愛いヒヨコが孵るのだろうか。
なぜか、次から次へと意味の無い雑念がわいてくる。

道の駅“八王子滝山”

さらに歩き回っていると、八王子産シルクの織物も売られている。
なんか、変な感じだ。ここは東京なのに…。

道の駅“八王子滝山”

確かに八王子は明治以前から製糸や織物業が盛んな街だった。
その理由には、丘陵地に囲まれた盆地のため、養蚕に適していたことが挙げられる。
また扇状地が開拓されて形成された地域なので全域に多摩川の支流が流れている。
維新後も、貴重な生糸は横浜港から盛んに輸出された。
甲州街道における最大の宿場町だったこともあり、各地から農産物などが集まった。
生糸流通の重要ターミナルとしても機能していた。
シルクは、富国強兵と外貨獲得のための重要物資でもあった。
渋沢栄一らが起こした群馬の富岡製糸場を思い出した。

道の駅“八王子滝山”

目を閉じると、当時の切迫した状況が浮かんでくる。
貧村出身の工場労働者の女工哀史には胸が痛む。
女工の中には軍需成り金の妾にされた者も少なくない。
女の蟹工船だ。今風に言えば“ワーキング・プア”か…。
でも、ちょっと、軍需成り金には憧れる…。
芸者をあげてドンチャン騒ぎをしていたに違いない。
昔は、楽しかった?のかもしれない…。
否、絶対に、楽しくなんかない…。

ときどき私は、自分がいつの時代の人間か分からなくなる。
街の歴史を研究し過ぎたために、現在と過去が錯綜する。

辺りに鳴り響く“ウシガエル”の声で我に返った。

野菜を買い過ぎてしまった袋の紐を赤ちゃんのように柔らかい手にくい込ませて運ぶ。
私は、幸か不幸か、肉体労働をしたことがない。
愛車までの短い距離でさえ、痛い…。

道の駅“八王子滝山”

帰りの車窓からは広大な都営長房団地が見える。
この付近は、確か、陸軍幼年学校があったところだ…。

八王子の繊維産業は衰退したが、近代的な工業地帯が形成された。
立川に近いこともあって、軍需目当ての精密機械工業も栄えた。
しかし、現在、住宅地としての人気は凋落し続けている。
だが、本来の、畑作中心の農業地帯へと回帰しているようにも見える。

なんだか哀しい気持ちになったが、それが街の運命なのだ。
否、日本の食料自給率を上げるためには、むしろ喜ばしいことだ。
日本の行く末を案ずる心と、どう考えても買いすぎた野菜の活用方法を案ずる心…。

私は、複雑な気持ちを抱えながらも、都心へのアクセルを思いきり踏み込んだ。
瞬発力に富んだ直列6気筒エンジンの音が響く…。
その速度は、明らかに制限速度を超えていた…。
既にその心は“免許停止”が解かれたばかりであることを忘れていた…。

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