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山崎研究室
近代史と鉄道から語る山崎隆の都市文明講座
第8回 「横須賀」 編 その1
2009年、7月某日。
前回から「京都に行こう…」と常々思っているのだが、
あまりに超多忙に過ぎて、まだ行けない。
新刊本の執筆の方も、2冊を同時に抱えていたため、
このブログも半年以上サボってしまった。
やっと再開できる状況になってきたので、
今回は都心から車で1時間も掛からない神奈川県の横須賀に向かう。
ここは世界でも有数の軍港だ。
あのヨコハマ・ヨーコのヨコスカだ(この歌、古いか?)。
ブルースやジャズが似合う街で、有名な、どぶ板通り商店街もある。
しかし、まずは近代史の金字塔、戦艦三笠の記念館に行こうと思う。
日本海海戦時の連合艦隊の旗艦だ。
都心を出発し、いつものように直列6気筒エンジンの音にうっとりしていたら、
あっという間に横須賀に到着した。
まだ梅雨は明けていないが、
秋山真之の名文句「本日天気晴朗なれども波高し」を思い出した。
横須賀の街が近代産業史に登場したのは幕末である。
1866年に幕府が建設した横須賀製鉄所は、
1871年には明治政府の横須賀造船所となった。
その後、横須賀海軍工廠となり、空母など大型艦艇が多数建造された。
飛龍や信濃の建造に使われた大型ドックは、敗戦後、米軍に接収された。
今では、それが米国第7艦隊の空母ジョージ・ワシントンの母港となった。
つまり、ここは、ずっと空母の故郷なのである。
近世までの日本の街は、城下町や門前町が栄えた。
近代以降は、軍需工場や基地の町が栄えるという法則があった。
軍港を基盤とした都市文明も栄えたのである。
パールハーバー、サンディエゴ、ポーツマスなど、
世界中には軍港で栄えた街が多数ある。
だが最近は造船不況の影響を受けている。
もしも日本が戦争に負けなければ、
今でも横須賀には日本の空母が係留されていただろう。
何故か悔しくて、涙が出る…。
と、そう思いきや、あれっ、空母あったよ、横須賀に、それも現役の…。
んー、対潜ヘリコプター空母「ひゅうが」だっけ。
ちょっと、米国の空母に比べて迫力が無いけれど、空母に変わりは無い。
そんなとき、誰かの視線が気になって、ふと横を見た。
いつものように山崎が、ぶつぶつと独り言を放ちながら、
涙目になったかと思うと、突然、笑顔でハシャイでいる様子を冷視している。
「んなこと、どうでもいいじゃない…」と嘲笑しているようだ。
私は、もしかすると、アホかもしれない…。
さて、そんなことは忘れて、早く我らが戦艦三笠に乗り込もうと思う。
初夏の晴天のもと、駐車場から見てもその存在感に威圧される。
東郷平八郎の銅像が迎えてくれた。
だが、この全長122メートルの鋼鉄の城は、悲しいことに日本製ではない。
1902年(明治35年)に英国ビッカース社が建造したものである。
まだ日本では戦艦なんて造れなかったから、輸入したのだ。
当時の英国では輸出する船に最新技術を積極的に採用する傾向があった。
他国の資金で実験してから、もしもそれが上手くいけば自国でも採用したのだ。
まあ悪く言えば、日本人は実験台の上のモルモットか。
しかし、それが故に最新鋭の戦艦を手に入れたのだ。
日本海海戦で日本人はその知恵と勇気を始めて世界史に見せつけた。
東郷は「東洋のネルソン」と呼ばれた。
上甲板に昇った私を出迎えたのは、30センチ主砲だった。
これで有名なT字戦術の隊形を組んでバルチック艦隊を撃破したのだ。
どこからか雷鳴のような巨砲の咆哮が聞こえてきた…。
周囲には精悍な帝国海軍の男たちが戦闘配置についている…。
潮風に混じって、汗と硝煙のにおいがする…。
私は、誘われるように狭い鉄骨階段を昇り、艦橋最上部に着いた。
ここは、かつて東郷が不動直立していた戦闘指揮所だ。
中心に据えた羅針盤も当時の面影を残している。
この遮蔽物の無い吹きさらしの戦闘指揮所の様子については、
緊迫した雰囲気を伝える有名な絵画が残っている。
順路案内図を手に、今度は艦内を見学する。
軍艦としては艦内は広かったのだろうが、
現在の客船と比べると狭い感じもする。
歩くたびに甲板のウッドデッキと自分の靴音が共鳴する…。
どこからか聞こえてくる水兵たちの靴音が鋼鉄の壁に反響する…。
階段を降りて、司令官や艦長など幹部たちの船室を覗く。
ここは水兵たちの寝るハンモックとは異なり、完全に個室だ。
なんと、風呂も付いている。書棚も置いてある。
赤い絨毯が敷きつめられた作戦会議室には、
黒光りした木のテーブルと椅子が置かれている。
ここで、どんな会議がなされたのだろうか。
刻々と迫る決戦のとき。絶対に負けられない戦い。
日本民族の運命が彼らの肩に重くのしかかる。
文武を兼ねた本物の叡知が、この会議室で生まれたのだろう…。
(次回に続く…)