山崎研究室

近代史と鉄道から語る山崎隆の都市文明講座

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第10回 「横須賀」 編 その3

2009年、7月某日。

私は、艦内の展示物に心を打たれた。
そこには心身ともに屈強だった男たちの遺品があった。
東郷平八郎の遺髪も置いてある。

横須賀

今回のNHKのスペシャルドラマは司馬遼太郎の「坂の上の雲」である。
主人公は、東郷を支えた名参謀、秋山真之である。
昨今のNHKは、すっかり中国・朝鮮寄りの放送局になってしまった。
これでは受信料を払う人も減るだろう。
集団訴訟なんかも起こされて、大丈夫かしら…。
そもそも、そんな彼らに明治人の気骨が表現できるのだろうか。

三笠は、米国第7艦隊の原子力空母ニミッツの乗組員が、
その功績に敬意を表して、ボランティアでペンキ塗りをするほどの艦である。
原子力潜水艦の艦名に使われた名将ニミッツ提督は、東郷を深く敬愛していた。
私費を使って三笠の復元に努めたぐらいなのである。

展示物の中には、スイス製のマリン・クロノメーター(船舶時計)もあった。
人工衛星によるナビゲーション技術の無かった当時、
正確な時計が無ければ、航行中の船の位置が計算できなかったのだ。
星の高さを測定しても、正確な時間が分からなければ、緯度も経度も出せない。
1秒の誤差が、1海里(約1.8キロメートル)の誤差になるという。
この時計が、100年前の日本海で時を刻んでいたかと思うと、感慨深い。

時計を覗きこんでいると、後ろから誰かが声を掛けてきた。
白い制服も眩しい初老の男性だった。
三笠保存会で案内係をしているとのことだった。
退役した海上自衛官で、なんと潜水艦乗りだったという。

はじめに彼は、私にZ旗の説明をしようとしてくれた。
だが、「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」でしょう?
私がそう言うと、少々驚いた様子だった。
私は、キャバクラ嬢の名前は忘れてしまうが、東郷のZ旗は忘れない。

横須賀

彼は、この手の話題に私が詳しいと察したのか、
それから暫くは延々と潜水艦の話をするようになった。

それは、推進動力機関のシステムが2種類あり、
ディーゼルと電池の併用式か、または原子力式かの違いである。
そういう話から始まった。

原子力式は、水中でも高出力だが、機械騒音が大きいのが弱点なのだそうだ。
実は、尖閣諸島周辺や東シナ海で暗躍する中国の原子力潜水艦は、
まだ技術的水準が低く、簡単に発見できるという話であった。
要するに、水中で大きな騒音をまき散らしながら潜行しているらしいのだ。
だから高性能なソナーを搭載した我が対潜哨戒機に狙われたら逃げられない。
なんか、ホッと安心した。けっこう自衛隊は強いのだ。

海上自衛隊の軍艦旗の話、教育マニュアルの話など、興味深い話は尽きなかった。
しかしながら私は、長い立ち話のせいか、急に腹が減ってきた。
時計を見ると、もう閉館時間も近づいている。

私は彼に謝意を伝え、別れを告げた。Z旗にも敬礼をした。

横須賀

そして、次の身の振り方を考えていた。
どーしようかなあ…。東京に帰って、メシでも食うか。それとも…。
どこからか、魚の匂いをのせた潮風が吹いてきた。
やっぱり、帰りたくないなあ…。

魅力的な街との出会いは、一期一会のようなものである。
そしてそこには、必ず、美味なる料理がある。
「食は文化」というが、そうではない。
「食は文明」そのものである。
だって、ここは食材の宝庫、三浦半島ではないか。

「三崎港のマグロ料理って、有名だよね…」。
私の、この提案をアシスタントたちに告げると、
別に反対する様子でも、ないようだった…。

しばし愛車を走らせる。
もうすぐ、久しぶりの三崎だ。
かつて私は、油壷や逗子あたりで、よくヨット遊びをしていた。
その帰り道に、三崎でマグロ料理を食べる習性があった。

あの頃の店は、まだ、そこにあった。
「たちばな」という料理屋だ。
マグロの内蔵まで食べさせてくれるので有名だ。

定番のコースを注文をする。
刺し身はもちろん、胃袋や浮袋まで食べ始める。
内蔵は、そのコリコリした食感が、たまらない。
これは完璧な酒の肴である。
嗚呼、酒が飲みたい。でも車の運転があるしなあ…。

人生の達人は、あきらめるのが早い。
すでに煩悩は消えていた。
道元禅師、ありがとう…。

それにしても、まぐろは美味い。
部位ごとに味付けも違うため、飽きさせない。
一つの食材から、これだけのバリエーションが得られるなんて、
やはり、まぐろは魚の王様だ。
私も、一度でいいから、王様になってみたい。
否、王子様でもいい。でも、女王様は苦手だ…。

横須賀

今日のアシスタントたちは、
また訳の分からない独り言を呟く山崎を無視しながら、
黙々と箸を口へ運んでいるが、かすかに舌鼓が聞こえてくる。

今日の取材の疲れは、三崎のまぐろで癒された。
身体には、まぐろパワーが憑依したようだ。
まぐろは、水中を時速100キロ以上でブッ飛ばして泳ぐそうである。
私も、高速道路をブッ飛ばして帰ろうと思う。

駐車場では、いつもの彼女が待っていた。
そして、透明な可愛い目をして挑発する。「もっと激しく走らせて」と…。
彼女の心臓のスイッチを入れた。

直列6気筒の振動をシートに感じながら、ふと考えてしまった。
そもそも、私は、この地に何をしに来たのであろうか?
戦艦「三笠」なのか、それとも三崎港の「まぐろ」なのか…。
否、横須賀や三浦半島の「都市文明」を調査しに来た、ような気がする。

三笠、まぐろ、都市文明。三笠、まぐろ、都市文明…。
何の脈絡も無い三つのキーワードが、
日頃は明晰な頭脳の中で呪文のように乱舞する。
天災と混乱は、忘れた頃にやってくる。

私は、普段、論理的に思考するタイプである。
当然だ。コンサルタントなのだから。
目的合理性の無い行動をしてしまった自分に自己嫌悪の念が生まれた。
理性的に生きるということは難しい。
理性は、壊れるから理性なのだ。本能は壊れない。

私は、理性と本能の狭間で、精神分裂症を起こしてしまったようだ。
きっと、最近の多忙が故に、疲れているのかもしれない。
ふと横を見ると、アシスタントたちの不安そうな目が何かを訴えていた。
「大丈夫かしら、この人」とでも言いたげな表情で…。

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